未熟であることの価値

普通は成熟していることや成熟することに価値があると考えられている
もちろん異存はないが
未熟であることにも価値があると考えてみたくなった

何が成熟であるかということについてはもちろん漠然としているし
それでいいと思う
日常の言葉とはそのように輪郭がぼやけたものだ

ただ、例えば、おとなになって働いて税金を収めている、そんなことを
あまり苦にも思わず暮らしていることが成熟だ

未熟な人は働きたくないと思ったり税金を納めたくないと思ったり
原理に遡って考えれば一理あるのだがそんなこと考えても生活は始まらない
生きるのだからその先のことを考えないといけない
まあ、そんなイメージだ

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しかし成熟をもう少し具体的に世界規模で考えてみると
日本人の外見は多分未成熟な部類に入ると思う
白人も黒人も、大人になると日本人などよりはずっと成熟して見える

日本人は中性的だと言ってもいいのだと思う
男女とも中性的である
大リーガーになると途端にひげとかもみあげとかで飾るようになる
中学生だと思われたくないからである

最近色々なスポーツで日本女性が強いのも、中性的ということと関係があると思う
もちろん、経済的に恵まれていて、いろいろなスポーツの機会があること、
どうせ日本人が一番偉いのだから戦うなんて不必要だし野蛮なこと、なんて思わないところ
なども関係していると思うが
日本女性が世界標準から見れば、あまり女性的特徴が顕著ではなく
中学生くらいで成長が停止しているかのような状態なので
スポーツで他の民族と対戦すれば結構強いのだと思う

純粋に100メートルを速く走るなどというスポーツは中性的なだけではだめで
筋肉の質が問題になる

一方で、日本男子の特異なスポーツはというと
最近では男子フィギュアスケートなどがあげられる
もちろん、中性的な男子でないといけない部分があると思うので
これは日本人にぴったりである

モンゴロイドの生きている国がだんだん豊かになって
スポーツに汗を流していられる環境になれば
モンゴロイド同士の対決にもなるのだろう

スキーのジャンプで優勝している若い女性がいるが
それも女性としての成熟と関係していると思う
(スキーのマイナー種目はとても若い人が活躍するのでみんな余程の天才なのだろう、経験は少しでいいらしい)

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それは横道の話として、話題を本筋に戻すと、
成熟を価値とするならば、各民族や宗教によって、成熟の基準が違うので、
微妙に他の集団を軽蔑するようになるのが人間というものだ

そのような下等な蔑視から脱して、他集団を尊敬する事ができるのがまた真の成熟だとも言えるが
そこまで至らない、つまり真の成熟に至らない他の集団を軽蔑していたりして、
するとやはり成熟しているのかいないのか微妙な話にもなる

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成熟を目指す限り、人間同士は軽蔑しあうのである、多分

ところが未熟は違う
成熟に至る途中で、だれでも一時期は未熟だったはずだ
だから未熟は人類が共有できるのである

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最近の話で言えば
発達障害が問題になり、これも言葉を拡張して曖昧にしてのことだが、
発達が不充分である・ばらつきがあるという点で、未熟な人たちが大量に発生している

成熟させる社会圧力が低下しているのだと思うが
発達障害の人は成熟者の気持ちがわからないのだが
成熟者は原則として発達障害者の気持ちがわかるはずである
わからないというなら、その人も本質的には発達障害者の要素があると考えざるを得ない

成長の最初の段階では誰でも
未熟で未学習であったはずだ
みんなそこから出発している

そうではなくて生得的にプログラミングされた本能回路が働くことを成熟というなら、
人間は本来未成熟な生き物である

周囲の環境に適応しやすいように学習の部分を多く残すことで
遺伝子の変化よりも速く適応することができるようになった
だから最初は未熟で、環境に合わせて、だんだん成熟するのである

環境が違えば成熟のゴールも違う

だが考えてみれば、そんな環境が違えば違ってしまうゴールなどを
目指す気になるだろうか
くだらない事だ

たとえばカダフィの第一の子分になることも立派な成熟であるが
どんな価値があったのだろう
毛沢東に愛された女だからといって何か価値があるのだろうか

そう考えると、未成熟のままでとどまり、環境に適応せず、自分のままでいる、
それもまた価値のあることだろうと思う

その場合には、他人のことがよくわからないのだが
しかし、民族が違ったり、宗教が違ったり、社会階級が違ったり、
いろいろな要素があっても、他人のことがわからないという点では共通なので
無駄な所で他人を軽蔑したりしないでも済む

めいめい自分の生きる場所で自分のしたい事をすればいいだけで
他人に対しての関心があまりないのだから平和である

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成熟した人は何かになった人だが、その代償として、何かになれなかった人である

未熟な人は何にもなれなかった人で、ただ自分であっただけだ
その点でもすがすがしい

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成熟を自覚するなどというのは傲慢の始まりである
自分たちは成熟していると思ったりするから
他人は未熟、したがって、死んでもいいと思ったりもする

そのような関心を持つくらいなら
無関心なままで他人とかかわらずに生きたほうがいいとは思わないだろうか

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未熟は小乗仏教の道に似ている

成熟して大乗仏教の道に入ればとてもいいのだけれども
大抵の場合、人間は大乗には入れず、傲慢になるだけである