蓄積参照型と自己体験学習型

個人が人生を生きるにあたり
他の人が蓄積してくれた知識や知恵を参照すれば良い場合も多くある
典型的なのが理系型で、つまり科学である

また一方で、他者への伝達は困難で、自分で学んでもらうしかいと考えられているものもある
若者の成長とか老化の実態とかはたぶんそのようなものだろう

理科系は(一応、エビデンスという意味で)確かな知識がどんどん蓄積して
目に見えて発達してゆくのに
文化系はそうでもなくて
延々と循環しているような気がする

昔はおじいちゃんに悩みを打ちあけて、そこで人生の知恵をもらった感じもありそうだけれど
最近ではおじいちゃんに聞くよりもネットで検索するだろう

ネットの世界というものも典型的で
理科系の知識に関してはネットで色々と解決できるのだけれども
文化系の知識に関しては
自分の潜在的に欲しいと思っている結論しか目に入らないのだと思う

もっとも、理科系の知識に関しても、医学の知識などは、とんでもない物が多いし、
古いものも結構あるので、判別は難しいと思うのだが

「ヘンリー・ライクロフトの手記」などで典型的に書かれているが
人生の知恵袋が身近にいれば、無駄な時間を過ごさなくてすむのであるが、
簡単なことではない

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子供たちのために環境を整えてあげたいと親は当然強く思っているのであるが
テレビやネットとの付き合い方を教えることは教えるのだが
根本的には自分で学んで成長してもらうしかない部分があって、困ってしまう
教育は世界の動きの一歩後をついていく傾向なので
いつも一歩遅い
子供はいつも犠牲者である

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人類の歴史でかつてなかったような科学的知識を研究している人が
まったく原始人と同じような対人関係について悩んでいる

この現実はやはりおかしい
この不均等を何とかできないものだろうか

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なぜ人間はこの点でもっと発達しないのか不思議である
多分、対人関係の問題であるから、相手も同じ程度の発達なのであって、
優位を求める限り、いつの世の中でも同じ問題に突き当たるということなのだろう

しかしながら、その部分を知恵によって乗り越えられたら素晴らしいのにとも思う