オスプレイの安全性を確認してから日本の民家の上を飛行するのだという
専門家が確認する
同じ話は原発でもあった
専門家が安全を確認して再稼働した
どちらも同じだが『専門家』が安全だと認定したとして住民が安心できるはずはないだろう
(その場合の「安全」とは、要するに「我慢するしかない」という意味だ
お金があったら引越しする自由はありますよという程度)
この問題を考えるにあたり
マーケット・メカニズムを利用できないか検討してみたらどうだろう
自動車を利用していれば事故がつきものである
だからあらかじめ保険に入っておく
保険料が高すぎるようならば運転をやめるだろう
保険料を払うよりも運転に利益があれば運転するだろう
歩行者としては、なるべく安全なルートと時間を選んで歩行することはできる
なるべく注意深く歩行することはできる
自動車を運転する側としては
「国」や「電力会社」や「米軍」がどのように物事を決定するかが考えられる
また
歩行者に相当するものとして
原発周辺や基地周辺、そしてオスプレイ飛行ルートの住民がどう判断するかを考える
引越しするお金があって、引越ししても職がある、さらに、
引っ越しても友だちができるという、恵まれた状況ならば、
原発やオスプレイの危険が0以上の場合は引越しした方がいい
常識で考えて、危険がゼロということはないのであるから
実際はすぐにでも引越しした方がいいだろう
しかし、お金がない、職がない、寂しい、離れたくない、いろいろな事情で、
ある程度の危険ならば、そこに留まりたいという人達もいるだろう
ある程度とはどの程度なのか、保険会社は数字にしてお金に換算してくれる
民間の保険会社が、たとえば招き猫ダックのような保険を作って、
掛金と危険度と保険金を提示する
保険会社は危険を(合理的に)予測し、掛金と保険金を決定し、
それを個人は選択する
原発やオスプレイのほかにも、台風多発地帯、毎年大雨地帯、大雪地帯、
黄砂大被害地帯、騒音地帯、風紀最悪地帯、その他その他、いろいろあるので
各個人はよく考えて自分の身の振り方を決定する
原発でも米軍基地でも、いわゆる迷惑料とか補助金とかの形で
また特殊な雇用の形で
周辺住民には金銭的メリットがあるのが普通なので
そのあたりとの兼ね合いにもなる
(そういえば、オスプレイの飛行訓練ルートに横須賀から横田とかのルートがあれば
神奈川や東京の住民がもっと敏感に反応するのだろうか)
ーーー
というような話になったのだが
命の危険があるけれども、保険金を支払って、
原発や基地の近くに住み続けるという選択は
実質ありえないようだ
敢えて住み続けるメリットがなければ計算が成り立たない
ラドン温泉で長生きしたいとか
英会話をただで練習したいとかくらいしか理由がない
たとえば相馬地域の人達が「伝承の祭り」である野馬追を続けたいので
相馬を離れたくないというような話はテレビで放送されていた
巨大送電線の下に住んでいる人とか
巨大電波塔の下に住んでいる人とか
どう考えているのだろう
ーーー
原発については普通に考えれば電力会社が事故保険に入るべきだろうと思う
飛行機会社は事故保険に入っているし、そのための保険金を乗客から徴収している
自動車を運転するひとは保険に入っている
東電は適切な保険に加入しておいて、
いまのところ地震なのか津波なのか判別は難しいが
今回のような事態の場合には、
保険会社から給付を受ければいいのだ
それを国が援助するというのがそもそも怪しげなのだろう
ーーー
ひどいことを言うが
オスプレイが墜落しても原発がメルトダウンしても
その危険は誰か他人の危険であるという人が大変に多いわけだ
危険の直接の被害者ではないのだ
命を守れというが、なるべくなら命を守ろう、まあ経済も大事だし、という腰砕けが漂っており
権力側はそこを利用してくるのだが
権力側と言えども一人に還れば
弱い一人の市民にすぎないのだ
そのあたりの限界を乗り越えて
弱者に連帯できるというのはなんと強く美しいことだろう