心の良い人といっても広い意味があるけれども
単純に言えば思いやりがあって
他人の心の痛みがわかる人のことでしょうね
ところがここに問題があって
知性も感性も優れた人がいるとするでしょう
すると
普通の人よりもずっと広くとか深くとか考えたり感じたりするわけだ
するともう他人の心が本当にはわからない状態になりつつあるわけでしょう
他人の心がわかるというのは
他人というのはたぶん統計的に中央あたり
釣鐘状の分布の真ん中のあたり
高級品は買わないけれどもコンビニで一番売れるものをいつも買う人たち
試験をすれば典型的な間違い方を何度でも繰り返す人たち
そういう人同士が、そういう人同士だけで、了解できるんですね
最先端の芸術を嗜んでいる人たちは
原始的な人達のことを
説明はできるけれども共感できないし了解もできないわけ
そんな人達がボリューム・ゾーンを相手に商売しようと思っても
当然、ボリューム・ゾーンの気持ちなんかわかんないわけです
わからなくていいですよね
当然です
一般に他人の心がわかるとか共感できるとか了解できるというのは
自分がその立場に立ったらどう考えてどう感じるだろうか
と考えて
自分の心がどう動くか、自分の心そのものをモニターして、結論を出すわけでしょう
だから
一般人と同じように心が弱くて心が壊れているようでないと
一般人のことなんか分かりようがないわけ
かろうじて分かる方法があるとすれば
分析して説明するということで
それは犬の行動原理を科学として探るという立場に近いですね
共感が方法ではなく
測定が方法だという学者さんは
そういうことを内部に前提として持っているわけでしょうね
人間同士で共感するのではなくて
犬を測定したように人間を測定するに過ぎない
でもまあ、仕方ないんでしょうね
たとえば、野球をやって空振りばっかりしている人に
どうやったらバットに当たるのかとか
打撃の名人が教えられるわけもないでしょう
産まれた時から、バットに当てることくらいはクリアーできていたわけだから
その先のことで道を極めた人が
一般人のレベルで、どうすればボールにバットが当たるのかとか
「知らん」と言うに決まっている
シュートをホームランする方法を名人同士で教えあうなら話になるだろうけれども
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そんなふうに考えていくと
大多数の人の心が分かる人というのは
大多数の人と同じくらいの心でないといけないわけだ
試験をやってみんなが間違える所で同じに間違えるようだと
苦楽を共に出来るわけでしょう
「あ、一般の人はここで間違えるだろうな」とか考えられればまだいいんだけれども
一般人がどこで間違えるかなんて全く興味がない天才もたくさんいるんでしょうね
するともうその先はお互いに話が通じないし
話す話題もないし
利害も一致しないし
先天的に分かっているのが天才なんだから
そうでない人がどこがわからないのかなんて
原理的にわかるはずがない
一般人はそんな人を有りがたいとは思わないで
やはり自分たちの気持ちをわかってくれる人がありがいたでしょうね
体力がある人は、他人が階段を登っていて疲れるという実感がわかんないでしょう
自分のつかれるという感じと似たものでその延長にあるとは分かるけれども
それはぼんやりとして予測であって、本当の実感ではない
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しかしまあ安心できることなんだけど
ボリューム・ゾーンの人たちが実際一番多いわけなので
一番味方が多くて
多数決をやれば勝利するし
投票すれば一番になるし
世界はボリューム・ゾーンの人たちのためにできているんですね
よくある分析で
世界の富は上位5%で80%を握っているとか
学問的進歩は上位1%が99%を達成するとか
そんなものだと思うので
共感もしてもらえないし
孤独な世界だろうと推定する
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それにしても100年前にアインシュタインが素晴らしい成果を上げて
それ以降、ぱっとした話がないのはどうしたことなんだろう
中世暗黒期のようなものなのかな
天才もネットで時間つぶしをしているのではないか
悲しい事だ