bipolar vs monopolar

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この図を再掲するのだが
この図を見てnormalがゼロでmaniaが+、depressionが-とは
私には見えない
磁石のようにNとSが混ざっているとかも見えない

maior depression のラインがベースラインで
maniaが100とすれば、hypomaniaが75、normalが50、dysthymiaが25、
major depressionが0としか見えない 

すると2つの因子を仮定する必要は全くなくて
因子としては1つなのだろうと思う

それが50くらいのときに、人間としては普通くらいの感じということなんだろう

上記のライン以外にも組み合わせとしては無限のバリエーションがあるのだと思うが
それは病気としてわざわざ認定する必要がないからなのだと思う

major depressionで職業的、社交的に機能停止してしまうので一番不都合ということなのだろうと思う
不都合というのは社会にとってが半分で本人にとってが半分

bipolarという呼び方もおかしくて
私にはmonopolarにしか見えない

mania成分が0-100の間で変動しているだけと見える

二極があるといってもこれでは一極なのである
たとえば、セロトニンとノルアドレナリンの量が独立に変動して
二極の合成として示されるというならば
双極性と言う言葉がふさわしい
しかしその場合には
うつの軸とそうの軸を直交させて描いたほうが分かりやすいだろう
そのような書き方がふさわしくないというならば
やはり一極で
変動要素は1つだけなのである

直交させるのが分かりにくいなら
時間軸を横にして
うつとそうの成分をそれぞれ独立にグラフにすれば分かりやすいだろう
そもそも混合状態の時にはそのような書き方をすることもあるのだが
混合状態に関しても、そうが100と25で混じるから混合状態というだけだろう

英語は90点で数学が20点なら混合状態となるのだろう
しかしそんなことはいくらでもある

この話はずっと昔からある話で特段に新しい話でもないのだが
最近はあまり言われないようだと感じている

その昔からの説で言うと
depressionになるのはmaniaがあるからである
maniaがずっと続くはずはないので
いつかは低下する
低下した時が0になるとdepressionで50になるとnoramalということで
たとえば子供の場合には50-100の間くらいで変動していると思う

成人に近くなってmania細胞がそれなりに年をとると
depression phase が始まるのだろう

人によってはmaniaまで上昇しなくても
normalのあたりで活動していてもmania cell にダメージが生じて活動停止になることがある
それが単極性うつ病に見えるということになる

遺伝的に双極性障害と単極性うつ病は分離できそうだという話も当然で
mania cell の分布は遺伝的に規定されているので
mania cell の性質と量によって単極性に近いか双極性に近いかが決まるのだと思う

お祭り騒ぎが好きな一家とそうでない一家があるというだけのような気がする
それぞれで大うつ病は経験する

その場合、単極性うつ病一族はもともとmania cell が少ないと興奮しないのだから
抗うつ剤を投与しても躁転することもない

極点に言えばうつ病で自殺したり
躁病でお金を使い果たしたりしない限りは
昔と同じく放置しておいても元に戻るので
積極的に薬剤を使用する理由がないといけない
薬剤使用の利益が明確でないといけない

もともと循環性で元に戻るものと定義されていたのだから
反復はするがレベルダウンはしないのである

それを、実はレベルダウンがありますというなら、
かなりの大変更なのである

そして多分実態はレベルダウンがある
昔からそう言われてきていたが
ドイツ精神医学の建前上は一応レベルダウンがないこととして
純粋理念型を立てるということになっていた

なにしろ人間は長生きするようになったし
そのなかで高度情報化されて仕事をしていて
わずかのレベルダウンも敏感に拾い上げる社会構造になっているのだ

だから50年前に比較すると
明らかに個人の機能レベルダウンは把握されやすくなっているし問題になりやすくなっている
そんな背景があるので
躁うつ病にもレベルダウンがあるという話になっている

しかしこのレベルダウンとシゾフレニーでのレベルダウンは
やはり様子が違うだろうと思う
てんかんも含めて、人格水準の低下という点では似ているものなのだけれども
気分障害の場合には顕著ではない

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mania細胞がフル活動している100のとき、人間として最高の能力を発揮するかといえば
必ずしもそうではない
たとえば本を書くという一面的能力ではそう状態のときに有利かもしれないが
その状態で他人に尊敬される、自分で後から思い返してみて誇らしい、
そういう状態ではないだろうと思う

妙に仕事ははかどったけれども、やっぱり病的だったな、という感想だろうと思う

人格水準低下という曖昧な言葉を使うのだけれども
高位脳機能の障害された状態である

その状態のままで普通に行きている人もいくらもいるので
あまり深刻ではないし
幸せになることを考えると、その事自体はあまり障害にはならないのではないかと思う