満開の人生の景色

満開の桜の下を歩いて通勤した
桜満開、春、若者、新年度、お酒、出会い、希望、期待、ここまでそろっても
憂うつだというのは大伴家持くらいのものだろう

満開の花が過ぎたあとはもちろん寂しい
しかしだからといって満開の花を見たくないのではない

これが人生の景色なのである

躁病になって自分も大変な目にあい周囲にも迷惑をかけ
友人を失い職を失い
それはもちろん大変なのだけれども
それが人生だという気もする

この満開の花を見ると
そう思う

躁病が満開の花だというのではないが
人生にはいろいろな景色があるものだという思いがある

人生の中で何度か躁病にもなり何度かうつ病にもなり
そのようにして人生の景色が刻まれて
思い出が残る
それでいいような気もする
それで大きな損失が出るとしても
それが人生だろう
死んでしまったあとで平和な人生だったなあと思うのと
起伏のある人生だったなあと思うのと
どちらが悪いとも言えないような気がする