言葉による理解の問題

たとえば
患者さんの症状についての患者さん自身の言葉を聞いて
表情を見て
自律神経系の反応を見て
また家族の話を聞いて
治療者の投げかける言葉や表情に対する反応を見て
治療者は治療戦略に役立つ何かの仮説を立てて薬剤や精神療法の選択をする
そのような判断を患者さんに話すのだが
それが患者さんの抱く『常識』や『知識レベル』に反している場合
話が難しくなってしまう

患者さんが「すごくイライラして怒りっぽいんです」
という場合
うつだと判断する人もいるしそうだと判断する人もいる

うつはしおれて元気がないものの「ハズ」で
怒るなんて元気ありすぎ、というわけである

また、そうは、朗らかで機嫌がいいことで、
怒るということはマイナスの感情なのだから
いらいらして怒っている人はそう状態のはずはない、というわけである

単に言葉の問題だから
日本語としてどれが正しいと決めてもらえば
それでいいだけのことなのだけれども
時間が経つに連れて
言葉の意味内容も異なるようになる

われわれは精神医学の専門なので
学問的には先取りした形で言葉を使っているのだが
若者は若者でネット社会などで独自の精神医学があるようで
なにか思い込んでいることがあるらしいが
そこまで研究は届かない

ーーー
さらに患者さんが「いらいらしています」と自己申告したとして
その言葉そのものの意味合いについては
患者さんの判断と意思の判断はそっくり同じではない

うつっぽいんです
という人に対して
双極性障害ですね
といえば
ピンとくる人にはピンと来るが
来ない人には不信感だけだろう

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このあたりの啓蒙と言うか洗脳が最も進んでいるのは
柔整の領域である
すべては骨盤の歪み、すべては背骨の歪み、
頚椎がずれていて、考えられないくらい肩がこっている、
そういう理解は
ある種の患者さんたちの感じ方・考え方とぴったり一致していて
施術する側もされる側もよく理解するようで何の困難もないようである

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精神医学の世界では
「うつ」という言葉が圧倒的に市民権を得ていて
むかしは「うつ」とかというと
自分は精神病ではないと怒ったりしたものだが
最近ではむしろ自分の要求通りと満足する人が多いようだ

そのうち「双極性障害」が広がると思う
それは薬剤の認可が日本でも始まったからで
これから大量宣伝が展開されるはずであるが
アメリカに比較するとまだ薬剤認可の範囲が狭いので本格的ではない

そんな状況で双極性障害と診断するのは
まだ少し早いらしい

そのうち、うつ病は機能減退するだけだけれども、
双極性障害は素晴らしい能力を発揮することもある病気だから悪くない
というような話になると思う

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うつとそうが反対のもので
だから同時に起こるはずはないというのが常識なのだろう
昼ではないから夜なのだし
夜ではないから昼なので
そうではないからうつなので
うつではないからそうなのだ
と理解しているらしい

磁石のNとSの話でもいいのだけれど
もともと磁性体はランダムに並んでいるから
その金属全体としてはNでもSでもないというだけのことだ
強力に磁場の中において
磁性体の向きを揃えればNSの極性を帯びる

だから微小な磁性体を考えると
NSがランダムに並んでいるのと同じ話で
脳神経細胞としてはそうとうつがたくさん混じっている

そうなると一人の人でそうとうつが同時に見られても何もおかしなことではない

例えばの話
四角い金属を左右に分割して
NSを互いに逆にしたものを作りまたくっつけて
奇妙な金属を作ることもできる
どちらの端もNSどちらも帯びているわけだ

精神も同じでそうとうつは同時存在できるのだ

でも、現状では、常識は、私はうつなのだから病院に来たのであって、
そうだから来たのではないということになる

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ゆううつと朗らかならば要素的な言葉なので問題はないが
うつ状態とそう状態に関しては医学用語として考えているので
やはり次元が違うし
それを元にして診断や治療が組み立てられるのだから
やはり譲れない部分である

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とても極端な話をすると
「わたしは仲間にいじめられてうつになりました」
という話から始まって
いろいろと確認して、その結果として、
「あなたは統合失調症です、治療を開始しましょう」
と言ったとする

この場面ではなかなか素直にはなれないだろうと思う

「自分はうつだと言っているのに、なぜ統合失調症だと判断されるのか」
と訝しく思うだろう
そういうものだ

一瞬、治療者の頭がおかしいのではないかと思う人もいるだろう

それが人間の相互性である

しかしこれは所詮は言葉の問題なのである

うつや双極性障害や統合失調症という言葉で何を意味しているかが
各人で共通であれば何も問題はない
ある程度抽象的な言葉なので意味のズレが生じてしまう

さらに外国語問題が関わるとさらに危険なことになる

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円周率は3ではなくて3.14というくらい自明のことなのであるが
治療者に3.14といわれて
この治療者は円周率が3であることも知らないのかと考えるとしたら
治療者はそのたびに3.14のほうが適切なのだと説明するのだろうか
一応3でいいのでそれで説明を進めるのがいいのだろうか
所詮は正確ではないのだから
どちらでも変わりはないのだろうか

正確な説明に微分方程式とか必要な場合はどうするのだろう
簡単な道理も理解しない人だったらどうするのだろう

いや
精神医学の場合には
それ自体が診断材料として有力なのだから
むしろ問題はないのだ

ただそれを患者さんが
理解して納得するまでが大変だ

しかしその大変さを確認できれば
診断はますます正しい訳だから
悪いことでもない