人間的成長の限界点

人間はいつでも精神的には成長するものだと思う

観察していると多くはライバルがいるかまたは目指す先輩がいるか
そのあたりが成長の鍵になっていると思う
恩師、先輩、同僚と目標でありライバルでもあり
その中で成長する
組織の中で生きるにはそこまで成長することが必要になる

主婦の立場になると
夫と子供しか普段の生活では存在しない
どちらも目標にもライバルにもならないので
その点では成長の機会は少なくなる
しかし子供を育てながら再び子供時代を生きるようで
その点では成長そのものである
これは二倍延びるというものではなく
二倍丁寧になるとかそんな感じらしい

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そのように見ていると
ライバルもいなくなり目標とする先輩もいない立場になると
人間的成長の機会が失われることは
しばしば目撃されることだ

そこから先は停滞である
成長余力があったとしても先には行かない
必要がないからだろう
むしろ後輩が育たないようにしている方が確実な生き残り戦略であるかもしれない

主婦というものはおおむねその子供と精神年齢が同じである
子供が好む歌を口ずさんでいる
また職業によってだいたい交流する人間階層が決まり
それによって精神年齢が決まる
精神年齢が高いことは立派とも言えるし変化を拒んでいるとも言える
低いから未熟とも言えるし若々しいとも言える

環境の中に目標もいなくなりライバルもいなくなる
また普段の接する人間が特定の階層である
そうした限界点を超えて成長するのは難しいと感じる
それが人間の限界点であるし
実際にはそれ以上成長する必要がないのだろう

高校教師は高校生以上に遥かに成長してしまうと
高校生に用がなくなってしまう

極端に言うと
すべての人間を追い越してしまえば
人間に用がなくなる
ただ慈善があるだけになる

慈善の場合に人間にほんとうに用があるのかどうか怪しいし
その先の成長の契機になるとも思えない

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ニーチェのツァラトゥストラが山中で精神の高みに登り
そのあとで人里に降りてきて
人々のために何かを始めるのだが
そこから絶望は始まる

山中でひとり悟りに至った賢人は
人里で人々に悟りを還元しつつさらに自己成長しようとするのだが
もちろん、お決まりのコースで、
そこにあるのはバカの壁である

そこから先は人間の気質の問題で
循環気質であれば人々を組織しわいわいがやがや生きる
分裂気質であれば一人孤独にサイのように歩む
それは悟りに至るまでの縦の運動ではなく
絶望と停滞と老化を含む横の運動である