簡単に言うと
1.原則を知っているまたは考えている
2.その場その時で相手の反応や状況を見ながら細かな修正ができる
の二つくらいが大切なんだろうと思う
原則を何も考えていない人は
やはり向上が少ない
一つの例で成功したとしても
そのどこが本質なのかを考えるのが原則論を鍛えるということので
そこがあやふやなままでは
偶然に頼る、または直感や本能に頼るという次元のことで
次の相手で再現性がない場合、えてして、自分は正しいことをしているのに
相手が良くないのだとか考えておしまいになる
そこを破って、自分の考えている原則のどこを修正しなければならないのかを
考えなおして欲しいものだ
思い通りにならない時は
気持ちが傷つくものだし
つい目の前の現実の解釈を変更したり事実を否認してしまいたくなるのだけれども
それは人間の常として理解できるとしても
一段落ついたら
それにもかかわらずきちんと事実を観察して取り入れて原則を修正できる能力が必要だ
細かな修正をしつつというのも
なかなか難しい
原則を忠実に実行するから
原則の正しさや間違いが明らかになるのであって
いろいろな修正を加えたり、他の原理を持ちだしたりしていたのでは
恣意的になってしまうし
なかなか本質に辿りつけないだろう
しかしながら
相手にしているのは一度限りの事なのであって
原則に還元することや原理を見つけ出すことが最終的な目的でもない
目の前の相手が幸せになってくれれば
それでいいのは確かである
しかし長い時間を通じて考えてみると
やはり仮説を形成しそれを修正しつつ日々研鑽を積むのが正しい姿勢だろうと思う
目の前の相手を幸せにするためにも
自分の原則や原理を鍛えてゆくという考え方が大切だと思う