自分に見えるものと他人に見えるもの

人間には自己イメージがあり
それなりに自分のことは自分が一番良く知っていると思っている

カウンセラーには
患者さん自身に見えていないがカウンセラーには見える患者さんの部分がある
背中とか耳の穴の中とか

それはやはり意味があると思う

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人間は四六時中情報を集めているし運動を外部に向けて発信しているので
その点では自分に関する情報のすべてを自分が管理しているということになるだろう

しかしながらその全体を見るのが自分であるので
「盲点」があれば当然そこは見えないことになってしまう

抑圧があれば見ないですまそうとするものだし
スプリッティングがあれば見えないままで疑問にも思わない

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自分には見えない所が見えていると言いはるカウンセラーを信じるも信じないも
その人の判断であるが

信じるも信じないもやはり
盲点、抑圧、スプリッティングの構造の中で処理されるので
やはり見えないものなのだと思う