夢にまみれる

10月10日
ありがたいことに
クリニックは先生が引き受けてくれたので
さらに今日がレセプトの締めだったが
それも先生と事務さんが引き受けてくれたので
安心してひたすら眠った

眠り病かと思うくらい
ただ横になるだけで
ぐっすり眠ることができた
こんなに眠いものかね

朝のうちはなんとなく景色がもやっていたのだけれど
何度か起きるたびに外の景色を見たところでは
時間が経つに連れて空気が晴れてゆく様子だった

夕方から夜にかけて月が見えた
今日は飛行機が近くを飛んでいた

たくさん夢をみたように思う
何だか幸せな感じだけが残っている

なにか幸せな夢を見たはずだけれど
もう何もも思い出せない

ラジオをつけっぱなしにしていたので
ラジオの中でなにか話を聞いて
それを夢と錯覚していたのかもしれない

断片的にだが覚えているのは
嵐のトラブルメーカーという歌
完璧なんてない
正攻法はない
災難だってsweet sweet
なにか心理療法の一部みたいな歌詞を歌っていた

アランという人の歌も記憶にある
映画音楽のようだった
日本語歌詞と中国語歌詞のものが流れたと思うが
中国語歌詞のほうが音楽として複雑で味わいがあると思った
赤い壁を貫いて
溢れる愛
などと歌っていたような気がする

私は誰かに絵の描き方を習っている
女性を描く場合、まず裸体を描き、そこに下着を着せて、
さらにその上の服を描きという具合に
順番に描くのが
その人の流儀だと語っていた
私はとても納得していたのだが
今思うとなぜ納得していたのかよく分からない

優しい愛撫のようなしぐさで
絵を描いていた

あなたは愛について知らないと思うけれど
私は愛について少しは知っていると思うという
謙虚な歌詞があったように思う

そう、私は愛について知らないのもしれない
あるいは知ろうとして傷ついてきたので
回避行動が身についてしまったのかもしれない

回避していると
いつまでたっても治りませんよ
といつも私が語り続けているセリフである

夢はメタ認知またはメンタリゼーションの装置なのかもしれない

ーーーーー
夢の中で
私の右手は君の髪に触れることがなく
あなたの右手は私の頬に触れることがなかった

そのような抑制された淡い感覚も残っている
それでいい

今夜の月の淡さに似ている
満月に近いようではあったが
輪郭はややぼやけていた

こうして人生の大切な一日がすぎる
映画の場面のような感覚だ

老いてゆく私には一日一日が愛おしい
このところ聴いているタルティーニのバイオリンソナタ集が
「大切さ」を考えさせる