論理あるいは論理以前の食い違い

話し合いは人間同士の間で基本だと思うが
物事の原因をどこまでさかのぼって考えているかが
しばしば問題になる
食い違いの原因はそこにあることも多い

A→B→C→D→E という具合で話が展開したとして、
一方は自分に都合のいいようにCからのことを話す
ひどい話だ、何も悪いことはしていないのにとか言う
しかし他方からすれば
だってそもそもあなたがBしたんでしょうなどと言い出す
そして客観的に見れば
そもそもの始まりにAがあったんですよね、実は

というような具合で
人間は自分に都合のいい部分を切り取って理屈をつけるので
理解が難しい

理屈になっていればまだしもだけれども
理屈にもなっていないことが多くて
そのあたりはトレーニングができていないことが分かってしまう

普段から論理的に話を進めているのではなくて
ただ自分の言いたいことをつぎはぎ的につなげているだけで論理になっていない

確かに習慣が人間を作ると思う

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論理は点を結んで線にする強力で普遍的な道具であるが
論理を理解しない人にとっては
面倒なものでしかないだろう

現代社会の一つの特徴は
価値観を共有するサブセットグループが多種多様に存在することである

家庭がすべてではないし
隣近所や学校がすべてでもない、
ネット上の知り合いも自分のすべてをかけてコミットしているわけではなくて
嫌になったらすぐに連絡を切断することができる

多重的なアイデンティティを生きているという点で
新しい時代なのだと思う

そのような中で、お互いに通じ合う言葉を見つけ、通じ合う論理を見つけるのは
結構難しいことだと思う