医者にとっては常識なのだが

採録

人間の体というのは名医がうまく治せばほとんど元通りに治ると思っている人が多い。骨が折れてもきちんと治療すれば元通りに治せるはずで、それがうまく治らないのは医者の腕が悪かったのではないかと・・しかし必ずしもそうではない。これは整形外科医の常識ではあるが、一般の方にとって常識ではないようだ。 
赤ちゃんや幼児の骨折ではどんな折れ方であってもたいていは手術しなくても治る。棒のような骨の真ん中で折れた場合、子供は折れ方によっては手術、大人はほとんど全例が手術となる。しかし手術しても骨がうまくくっつかないケースは、決して多くはないが年齢とともに増えてくる。以上は骨の真ん中で折れた場合で、まだたちが良いほうだ。 
骨の端で折れるいわゆる関節内の骨折の場合はもっと厄介だ。関節内の骨は軟骨を被っていて丸みがありツルツルスベスベでそれが抵抗なく動くから関節としての曲げ伸ばしが成り立っている。もしも運悪く関節の中の部分が粉々に折れてしまったら・・残念ながら普通は後遺障害が残ることを覚悟しなければいけない。同様にツルツルスベスベのもので例えれば、卵のカラを粉々に割ってそれを接着剤で元通りに戻せるかというのと同じ話だ。名人が直したとしても元通りのツルツルにはならないのは明らかだろう。ただし人間の体には卵のカラとは違って生きている細胞がある。だからある程度は自然修復という融通が利く場合もあるが、折れた部分まで血液が巡らなくなり時間とともに壊死してしまうことだってある。そのような時にはどんな名医であっても後遺症なく治すのは無理ということになる。それは医者にとっては常識なのだが。 
骨がそんな具合であるから、神経はもっと分が悪い。神経とはおそらく体の中では一番デリケートな組織であろう。ひとたび神経が圧迫や阻血でダメージを受ければ、そこから先の部分は死んでしまう。脳は神経の親ダマだから脳出血や脳梗塞の麻痺が一生治らないのはそのためだ。リハビリで治ったという人は、その部分の細胞が完全にやられていなかったので復活したか、もしくは代償機能が働いて見かけ上正常に見えるだけなのだ。 
脳ほどシビアではないが、椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症などの神経がらみの病気もそれに近いものがある。たとえば椎間板ヘルニアによる神経麻痺で足首が5年前からピクリとも動かなくなっている人が手術でヘルニアをとっても残念ながら足首が動くようにはならないという医学的常識。それは足首を動かす神経細胞が死んでしまったためだ。時間がたてばその神経が支配していた領域の筋細胞までもが退縮してしまう。それでも手術すれば少しは動くようになるのではないかと淡い期待を持つ患者さんは後を絶たない。 
日常の診察で脊椎の障害は、上述の運動障害よりも感覚障害の方が多い。脊椎外科医が手術前の説明で「しびれなどの感覚に関しては手術しても完全には治りませんよ、大体7-8割治ればいい方ですね」と説明することが多い。一方で患者さんにしてみれば、「手術してスッキリしたい」などと表現する人もいるように、手術すれば全ての症状が治ると思っている人の多いこと多いこと(それが患者さんの常識なのかもしれない)。感覚も触った時にわからないくらいまで落ちてしまうと運動麻痺を伴うのが必発で治りが悪い。それも早いうちなら取り返しがつくこともあるが、長期間そのままにされていると回復は困難だ。だからと言って少ししびれているだけですぐに手術するというのは考え物だ。そのしびれすら治らなくて、むしろ手術による傷がかえって新たな痛みを誘う場合もあるからだ。医者の常識としては、手術しても痛みよりもしびれの方がとれない場合の方が多い。 
脊椎外科医であり脊椎内視鏡を専門とする私にとって椎間板ヘルニアや脊柱管狭窄症などの手術は日常茶飯事だ。内視鏡手術なら通常の切開手術よりも小さな手術だというのが一般の方の常識。たしかに手術の傷は小さくて済む。しかし、手術のキモの部分は切開手術となんら変わらない。そこへ到達するまでのプロセスが高価な器材を使うため低侵襲で済むというだけの話。それも雑誌などに手術症例数が多い病院と掲載されればさらに患者さんは殺到する。しかし執刀医が2人いれば手術数は倍になるし、3人いれば3倍になってもおかしくない。それだけたくさんその手術をしているという証拠にはなるが、手術適応が甘かったり流れ作業的でアフターサービスが悪かったりすることもあるのだ。一概に手術数が多いから良い病院とは限らないという事実は残念ながら患者さんの常識にはなっていない。