2011年甲子園について

2011年甲子園大会は大変面白かった 
しかし個人的に気になるところもあった

たとえば大阪のリトルリーグで活躍していた選手が
地方の私立学校に入学して甲子園を目指すというのは
何の意味があるのだろう
たとえば日ハム田中と巨人坂本は大阪で同級生だった
青森光星学院のベンチメンバー18人中10人が大阪育ち
一体どこが青森県勢なのだろうか
甲子園に出やすいというだけ

県別に代表を決めて甲子園に出られるのだから
出やすい地域から出たほうがいい、しかも特待生で勉強しなくていいし、学費もかからないという選手の側の都合と
学校の名前の宣伝になるという経営側の都合だと思うのだが
そんな背景があるならば
綺麗事を言ったとしても
甲子園大会はすでに綺麗事ではない

伝統校というものも納得できない
春夏何回出場とかNHKのアナウンサーが繰り返し言い続けるが
勉強しないで野球漬け、いい選手をかき集めて、ずるをしてきた伝統がありますというだけで
アホで恥ずかしいだろう

伝統校と言っても選手は毎年入れ替わるのだから何の意味があるのだろうか
後援会組織の資金力とか甲子園に行く時の応援団の強制的な動員力とかそんなものなのだろうか
本当は伝統校の強みというものは
部員がタバコを吸ったとか強姦をしたとか不祥事があったときにも
もみ消すだけの組織力があるというに過ぎなく
今年はあの学校には勝てそうにないなという場合に
不祥事をでっち上げて出場できなくするとかそのような伝統の力ということになる
選手に伝統の力なんてあるはずがない

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上の話は酒飲みの話だから嘘っぱちだけれど
選手とか監督のインタビューもおかしなものだ

優勝する力なんてないのに優勝目指しますとか言っている
普通ならば一戦一戦を全力プレーすることが目標です
とか
郷土の代表として恥ずかしくないプレーをしたいです
とかいうものだ
このあたりの教育はしないのだろうか

すごいのは「監督を胴上げしたい」というセリフだった
それが高校野球の目標なのか
完全に倒錯している
高校野球は教育だろう

そこそこいいところを見せて
大学とか実業団のスカウトに気に入ってもらい
進学とか就職を確実にしたいです
とでも言えば正直というものだろうが
それは言わないにしても
監督を胴上げして何になるんだ
監督に感謝はすればいいがそれが第一の目標ではないだろう

監督に従順な人間を作っているのが野球教育だとしたら
まあなんとも味の悪いものだ

練習してきたことを発揮できるように頑張りたいです
といえばいいし
このセリフは何も難しくないだろう

それとも過去の実例のようにユニフォームのFightersの読み方さえ知らないような選手ばかりなのだろうか

1年生や2年生が3年生を押しのけて試合に出ている
これは就職とか進学を考えればよくないことだ。就職率が悪くなる。
学校経営としてはとにかく勝って名前を売って生徒を集めたい気持ちのほうが優先のようだ

このあたりも教育ではなくて経営である

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そして一番いいたいことだけれど
試合後のインタビューで相手を褒め称えることがないのはどうしてしまったのだろう
もうこの国は日本ではなくなったのだろうか

相手のピッチャーは最高でした。あのスライダーは打てませんでした。
守りも固かった
打撃も積極的で素晴らしくかろうじて抑えられた
鍛えあげられた素晴らしいチームと対戦できて本当にありがたい
選手たちには一生の財産になる
勝負は時の運です、たまたまうちが勝っただけです

くらいのことは
昔は言っていたような気がする

それが淳風美俗というものだろう

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青森の擁護をすると
青森には産業もなく経済力も非常に貧弱である
六ケ所村には放射性廃棄物最終処理施設
最終処理といっても半減期がプルトニウムは6500年である

「俺たちには関係ない」というだけのことだとすぐにわかる 

冬場の出稼ぎでしのいできたわけだが
昨今は公共事業も減少して收入がない
一年の半分は雪で一家の大黒柱は出稼ぎ
野球の練習ができるのは一部の恵まれた学校だけで
あとは雪の中をただ走るだけ

青森の年寄りはレインボーブリッジも俺達が作ったんだと胸をはっている

正直言って青森の光星学院と言っても
全然青森じゃなくて
大阪の光星学院なんだ

その昔、三沢高校の時代は
三沢ナインは5人が幼少から同じチームで野球を始め、駐留米軍の子弟相手に練習試合を行い力をつけていた
というわけで、ここでも米軍基地が影を落としている