北風さんと太陽の話

北風さんと太陽の話になって

待て待て
それは北風と太陽か
北風さんと太陽さんか
どちらかではないか

北風さんと太陽の話だと
まるでなんとなく
北風のほうが親愛されている感じがあって
なじめないなー
というと

だって私は小さい頃から何度もそう教えられてきた
母親がいつもそう言っていた
だから自分の中ではそうなんだ
という

いやいやお母さんもいろいろ考えもあったろうし
事実として個人的過去はそうだったのだろうけれど
今考えてそれは変でしょう
というと
だってそうだったんだもんという

というわけで認知の訂正ができないのだった

ーーーー
それはそうとして
北風さんと太陽の話はいい話だし
これだけでもう世の中の半分以上の問題が解決するようなものだろう

この重大な作戦変更は
目的を達成するために何が有効かと思考すれば
容易に達成できるものだ

メンツにこだわると失敗する

外側からはそのように見えるのだけれど本人は熱くなっているので
目的達成のための必要な道筋が見えない

目的よりもメンツが大事なんだ、その場合は

ーーーー
その視野狭窄の様子は実に精神病的で
認知療法をする前にまず精神病的な部分を治療して
認知の訂正が受け入れられる水準にまで持って行かないといけないと思う

その水準まで行けば実にエレガントなメタファーであって
素晴らしい力を持つ

水準低下の原因としては、典型的な古典的精神病の他にも
アルコール症や認知症、違法薬物、
あるいは脳腫瘍とか脳血管障害、糖尿病とか器質性の異常の場合もかなりある
最近では発達障害がよく指摘される

粗暴になり、論理が乱れ、倫理観が欠如し、自分勝手になり、わがままで、過剰な性欲を見せ、誇大的になり、
ひとことで言うと高次脳機能が欠損する
独りよがりでしばしば強迫性を呈し、他人に自分がどう映っているか分からなくなる

この事態をメタ認知の欠如とかモニタリングの欠如と呼ぶが
その場合にはもともとそのような思考ができない人なのか
元々はできていたけれど途中でできなくなったのか判定し
最初からならば性格というもので仕方がない、そのようなものとして対応するしかないし
途中からならば病気の可能性が高いので、治療したほうがいい

このような状態を周期的に呈するのは循環病である
持続的にレベルダウンするものはシゾフレニーと古典的には命名している
現代の定義はDSMである

いずれにしてもその水準に達してからでないとお話もしみて行かない
ところがその水準になると自然にそんなことは分かるはずで言う必要もない
そうなるとやはり発達途中の子供に繰り返し聞かせるのがいいということになる

ーー
考えてみれば旅人のマントを脱がすという目的で見れば
北風は真実間違っているのでもう明白にダメダメである

しかし現実の北風戦略と太陽戦略は相手を攻撃する外交戦略であったり戦争であったりする
南北朝鮮の対立でも分かるように
太陽ばかりでうまくいくのでもないし
北風ばかりでうまくいくのでもない
そこでゲーム理論がいろいろに言われる

概ね太陽、しかし相手が北風できたときには徹底的に北風で対応する
などの戦略が言われる

相手がどう出るかを予想して推理して対応するので
これは発達障害の人には難しいこととされている
相手が何を考えているか、相手の立場になって考えることができない、
あるいは考えても、常に外れる

相手の様子に応じて柔軟に対処することがじつは大変に高度な戦略である

ーー
何にしてもまず病気を直してからのほうがいい