昔から、平和を訴える映画が実際は戦争映画で 戦争場面で興奮させて 最後に戦争はいけませんと締めくくる 記憶に残るのは戦争の興奮だけである

"「アメリカの艦船が攻撃されても、その相手を日本が攻撃しなくていいのか」
とまで日本の総理大臣が平気で言うようになった
言っても総理大臣でいられる
それどころか、「私の言うことは間違いない、なぜなら私は総理大臣だからだ」とまで言う
それでも総理大臣でいられる
思考回路がどうなっているのか理解を超えている

平和活動をしても金持ちにはならないが
戦争活動をすれば金持ちになれる

昔から、平和を訴える映画が実際は戦争映画で
戦争場面で興奮させて
最後に戦争はいけませんと締めくくる
記憶に残るのは戦争の興奮だけである

国のために戦うというのはいけない感じがするので
愛する者のために戦うと言い直す

戦争映画にはなぜかスポンサーがつくので
企画が実現する

スポーツを見ていると理解できるが
人間というものは男も女も戦いに熱中するものらしい"

"現状では、戦争法案提案者たちの論理は破たんしていて説得力がないし
どこかの国が攻めてくるという単純な嘘にも誰も騙されない
なにより、安倍、高村、麻生、石破、その他、人を納得させる顔をしていないし、人を動かす言葉がない
しかし、この幼稚な議論は、時間がたてば大きく育ち、役者も替わり、
人々は違和感なく受け入れるようになってしまうのだろうと思う

国旗国歌の問題などは分かりやすいと思う
先日は文科大臣が公立大学の学長に対して式典にあたっては国旗国歌を尊重してはどうかと
強制ではないお勧めをしたという
下村文科大臣という人が大学というものをどう考えているか、あるいは何も考えていないか、
透けて見える

いま、戦後民主主義からどれだけの距離、隔たっているか考えると
さまざまな感慨もわく

ひとつは、戦後は右翼が一時的に身をひそめた特異な時代だった
ひとつはソ連が消えた
ひとつはマスコミが翼賛的になった
教育が変わった
グローバルになったといわれているが、実際には意識は内向きに狭窄している
何より、アメリカが、日本はアメリカ軍の二軍になれと命令した

いまごちゃごちゃ騒いでおいて、
少し時間をおいて、すんなりと、カナダ、オーストラリア、韓国などと同じように、世界中で
アメリカ軍の司令官に従って日本軍が戦争している時代になるのだろう
核武装もしてしまいました、徴兵制も実現してしまいましたとなるのだろう
平和の理想よりも戦争の金儲けの圧力が強い

ジグザグの経路をとりながら、しかし、方向としてはもう変わりようがないだろうと思われる
平和を愛する羊が本質ではなかったらしい"