それは人類の未来形なのかもしれない 幼形成熟の例として挙げてもいいのかもしれない

"マルクスやニーチェの言うように愚かな民の精神的支えとして
キリスト教やイスラム教があるとして、
日本の精神風土では愚かな民の精神的支えは何があるのだろう
そのような精神的支えさえなく生きてゆける怪物なのだろうか"

"学校で国旗国歌を熱心に推進するのに
結婚式ではキリスト教を放任し
葬式では仏教を放任している

誕生と結婚と死亡、そして死後の世界、魂の行く場所をどのようなフレームで考えるかという問題が
精神の問題ではないのだろうか

その問題に関して平田篤胤などの学者は
キリスト教やユダヤ教を参照した形跡がある

たぶん、日本人にとっては、誰にとっても、どうでもいい問題だったのだろう
この面では西洋並になりたいと考えることもなかったらしい

だいたい世界の人間の一般の発達として
宗教的装置により誕生の意味、結婚の意味、家族の意義、死の意義、死後の世界の観念、魂について、
それらが一貫したもの(インテグリティ)となって初めて、人間となると考えられている
その点では日本人はなぜか特殊な地位を占めているのではないか

たとえば刑法にしても、ふつうは背景に宗教的な罪と罰があるのに、
その背景がないままで刑法として機能する
それは人類の未来形なのかもしれない
幼形成熟の例として挙げてもいいのかもしれない
"