““おまえは化学をならったろう。 水は酸素と水素からできているということを知っている。 いまは誰だってそれを疑いやしない。 実験して見るとほんとうにそうなんだから。 けれども昔はそれを水銀と塩でできている と言ったり、水銀と硫黄でできているといったり、いろいろ議論したのだ。 みんながめいめいじぶんの神様がほんとうの神様だというだろう。 けれどもお互い他の神様を信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。 それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。 そして勝負がつかないだろう。 けれども、

"“おまえは化学をならったろう。
水は酸素と水素からできているということを知っている。
いまは誰だってそれを疑いやしない。
実験して見るとほんとうにそうなんだから。
けれども昔はそれを水銀と塩でできている と言ったり、水銀と硫黄でできているといったり、いろいろ議論したのだ。
みんながめいめいじぶんの神様がほんとうの神様だというだろう。
けれどもお互い他の神様を信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだろう。
それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだろう。
そして勝負がつかないだろう。
けれども、もしおまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学と同じようになる。”
―宮沢賢治「銀河鉄道の夜」第3稿
宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」の中で僕が一番好きだといっても過言ではないシーンがこのブルカニロ博士の演説なのだが、昨日稚内の青少年団(仮)と話していて、一般的に知られている原文の中にはそのくだりがないことを知っておどろいた。というか全体的に僕の知っている銀河鉄道とはかなり印象のちがう話なのだということを知ってポカンとしてしまった。
最初は僕が何か別の小説と混同してるのかと思ってたけど、少年たちが調べてくれたところによるとどうも何回か改稿されているんですね。僕が若かりし頃すでに古めかしい装丁だったその本を読んだときは、第3稿なるものが岩波から刊行されていたらしい。はじめて知った。
こんなところでまで連中とジェネレーションギャップを感じさせられるとは。さすが新成人!でも個人的にはこんなすばらしい一文を知らずに銀河鉄道は語れないんじゃない?と思ってるので、なんか逆に得した気分。
最終稿版を借りたので読んでみよう。"