“ 八代目桂文樂の晩年、両耳がほとんど聞こえなくなっていた。 「この年齢になりますと、たいていのことはきいてしまっているから、いまさらきかなければならないことなど、ほとんどない」  とつづけた。『平家物語』の平知盛の最後の言葉は「見るべき程のものは見つ」なのだが、桂文樂は「きくべき程のこと」はすべてきいてしまったと達観したのだ。きこえなくてもきこえたふりをしていると、どうしても返事をしなければならないときがある。そんなときは大きくうなずいて、 「近ごろはたいていそうだよ」  と言えば、ほとんどの用

八代目桂文樂の晩年、両耳がほとんど聞こえなくなっていた。
「この年齢になりますと、たいていのことはきいてしまっているから、いまさらきかなければならないことなど、ほとんどない」
 とつづけた。『平家物語』の平知盛の最後の言葉は「見るべき程のものは見つ」なのだが、桂文樂は「きくべき程のこと」はすべてきいてしまったと達観したのだ。きこえなくてもきこえたふりをしていると、どうしても返事をしなければならないときがある。そんなときは大きくうなずいて、
「近ごろはたいていそうだよ」
 と言えば、ほとんどの用は足りるそうだ。