第77段、徒然草:世中に、その比、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。ことに、片ほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。 その頃、世の中に、人が世間話(噂話)の話題として言い合っていることについて、そういった噂話に関わるべきではない人が、よくその内情を知っていて、人に語り聞かせているのは、どうにも納得できない。特に、山奥に引きこもっているはずの法

第77段、徒然草:世中に、その比、人のもてあつかひぐさに言ひ合へる事、いろふべきにはあらぬ人の、よく案内知りて、人にも語り聞かせ、問ひ聞きたるこそ、うけられね。ことに、片ほとりなる聖法師などぞ、世の人の上は、我が如く尋ね聞き、いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。
その頃、世の中に、人が世間話(噂話)の話題として言い合っていることについて、そういった噂話に関わるべきではない人が、よくその内情を知っていて、人に語り聞かせているのは、どうにも納得できない。特に、山奥に引きこもっているはずの法師が、世間話を我が事のように尋ねたり聞いたりして、どうしてそこまで知っているのかと思われるほどに、周囲に言い散らかしているようだ。
ーーーーーーーーーーーー
第78段:今様の事どもの珍しきを、言ひ広め、もてなすこそ、またうけられね。世にこと古りたるまで知らぬ人は、心にくし。 
いまさらの人などのある時、ここもとに言ひつけたることぐさ、物の名など、心得たるどち、片端言い交し、目見合はせ、笑ひなどして、心知らぬ人に心得ず思はする事、世慣れず、よからぬ人の必ずある事なり。
珍しい最近の事柄を、もてはやして、言い広めるのも、また納得できないことだ。世間で言い古されるまで、知らないでいる人は魅力がある。 
今、新しく来た人がいる時に、仲間内で話し慣れている話題や物の名前などを話し、そのことを良く知っている仲間だけに分かるように、話の一部分だけを語り合ったり、顔を見合わせて笑ったりする。(そうやって内輪向けの話に終始して)事情を良く知らない人に嫌な思いをさせるのは、世間知らずの立派ではない人たちがよくやることである。
ーーーーーーーーーーーー
第79段:何事も入りたたぬさましたるぞよき。よき人は、知りたる事とて、さのみ知り顔にやは言ふ。片田舎よりさし出でたる人こそ、万の道に心得たるよしのさしいらへはすれ。されば、世に恥づかしきかたもあれど、自らもいみじと思へる気色、かたくななり。 
よくわきまえたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。
何事にも、深く知っている振りをしないのが良い。教養のある人は、知っていることだからといって、そんなに物知り顔で言うだろうか。田舎から出てきたような無教養な人こそ、すべての道に精通している様子で知ったかぶって受け答えをするものである。だから、世の中には恥ずかしい知ったかぶりの人もいるものだが、自分では凄いだろうと思っている様子が、何ともみっともない。 
よく知っている道であっても、口を重くして軽々しく語らず、問われない限りは自分からは言わない、そういった態度こそ素晴らしい。
ーーーーーーーーーーーー
「よくわきまえたる道には、必ず口重く、問はぬ限りは言はぬこそ、いみじけれ。」
そうだと思う。
さらに「いかでかばかりは知りけんと覚ゆるまで、言ひ散らすめる。」という人が多いのもそうだと思う。
人間の遺伝子はちっとも変わっていない。
逆に、大声で嘘を言って歩く人間が多いわけだ、昔も今も。
兼好みたいに意見していないで、沈黙して隠棲しているしかない。